2025.11.30説教「人には物語がある」

待降節第1主日

使徒アンデレの日

「人には物語がある」

 

ヨハネ1章29-44

◆神の小羊

 1:29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

 1:30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。

 1:31 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

 1:32 そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。

 1:33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。

 1:34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 ◆最初の弟子たち

 1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。

 1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。

 1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。

 1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、

 1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。

 1:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。

 1:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。

 1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

 ◆フィリポとナタナエル、弟子となる

 1:43 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。

 1:44 フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。


「私たちの神と主イエスキリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」

 

本日は待降節第1主日であり、また使徒アンデレの日でもあります。

ということで、本日は使徒アンデレの日の日課からである、ヨハネによる福音書1章29-44節から御言葉を聴いてまいります。

 

 まず1章29節と35節を見ますと、「その翌日」との言葉があります。

ヨハネ福音書が日時を表記する時は特別です。

ただの「翌日」ではなく、特別な「翌日」であるのです。

 ヨハネ福音書では、29節でイエスは初めて登場するのです。

ですから、29節はメシアすなわちキリストが活動を始める日の朝であり、35節はその翌日と言うことであります。

これまでの闇の時代、神への反逆の時代は終わり、キリストの訪れと共に夜明けが来たことを告げています。

 そのような意味が込められた「その翌日」の言葉です。

 29節で、洗礼者ヨハネは、イエスが自分の方へ来られるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と告げています。

 重ねて36節でも「神の小羊」と言っています。

 この「神の小羊」というキリストの呼び名はヨハネ福音書においても特殊な表現であり、ここ2か所でしか用いられないキリストの呼び名です。

「小羊」というものは、イスラエル時代もユダヤ時代となっても、神への捧げ物、あるいは償いの捧げ物として用いられます。

 聖書の故事をたどれば、紀元前2000年頃のこと、子どもを授からなかったアブラハムが、み使いの訪れを通して、最初の子を授かりました。イサクです。

 アブラハムとイサク親子の小羊にまつわるエピソードがあります。

 旧約聖書の創世記22章7節です。

《イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」》

 アブラハムは、一人息子のイサクを捧げよとの神の試みを受け、イサクを連れて山に登ります。

その時の親子の対話です。

 アブラハムが薪の上にイサクを乗せ、いざ手をかけようとした時、神はやめさせ、藪の中に捧げ物としての羊を用意されました。

 日本のキリスト教会でも、「主の山に備えあり」と語り継がれて来た御言葉であり、正に今、先の見通せない時にこそ信仰によって生きる者たちへの励ましとなる御言葉です。

 また、イザヤ書53章4節には、

《彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。》

とあります。

ヨハネ福音書のギリシャ語原典には、「世の罪を取り除く神の小羊」よりも、「世の罪を負う神の小羊」の意味合いが強く、このイザヤ53章4節からの言葉でありましょう。(αιρων)

 

31節で、洗礼者ヨハネは「わたしはこの方を知らなかった」と言っています。

ヨハネはイエスを知らなかったのでしょうか。

ヨハネがまだ母エリサベトの胎に宿っていた頃のこと、ルカ1章41節、

《マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。》

とあります。

 洗礼者ヨハネが胎児であったとき、同じくマリアの胎に宿っていたイエスの訪れに呼応していたではありませんか。

 ヨハネが知らなかったのは「世の罪を負う神の小羊」としてのキリスト・イエスを知らなかったということでありましょう。

 確かにヨハネは「知らなかった」者であるでしょう。

ほかならぬキリストに「知られている」者であったのですから。

 

 私たちも同様に、キリストを知る者となる以前から、キリストに知られている者であったのです。

その意味で、人知においてキリストを知らなかったことは問題ではないのです。

 その時まで、「世の罪を負う神の小羊」としてのキリストの使命を知らなかった洗礼者ヨハネですが、聖霊によって教えられることとなります。

 すると34節では、たちまち「わたしはそれを見た」と、証言者として立てられます。

ヨハネは聖霊がイエスに留まるのを見たのです。

ヨハネ福音書は、ここでイエスが洗礼を受けられたとは書いてはおりません。

ただ、聖霊による洗礼者イエスを伝えています。

 35節からは、洗礼者ヨハネの弟子二人が登場します。

 36節で、ヨハネから「見よ、神の小羊」と示され、彼らはイエスに従います。

 

ここで、アンデレの物語を見てみましょう。

40節、

「ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。」

とあるように、ヨハネの二人の弟子の一人はアンデレでありました。そしてまた、

44節、

《フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。》

とヨハネ福音書は伝えています。

しかしながら、マルコ福音書による伝統的な言い伝えによれば、アンデレとペトロの出身地は「カファルナウム」とされています。ヨハネ福音書にはどういう意図があったのでしょうか。

同じガリラヤ湖畔の町ではあり、カファルナウムは西寄り、ベトサイダは東寄りの湖岸の町です。

「異邦人のガリラヤ」(マタイ4章15)と呼ばれるように、ギベトサイダの方がギリシア人の居住地にも近い地域です。

 

ヨハネ12章20節にあるエピソードを見ますと、エルサレム巡礼者の中に何人かのギリシア人がいたことが報告されています。

ユダヤ教への改宗者であったのか、あるいは単に「神を恐れる者」であったのでしょう。

受難前、もちろんキリスト教会はまだない頃のことです。

ギリシア人たちは「イエスの評判」というものを聞いていたのでしょう、「ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポ」というイエスの弟子に、イエスとの面会を申し出ています。

フィリポはアンデレに相談し、二人揃ってイエスへと事の次第を報告しています。

ギリシア人たちがフィリポにイエスとの面会を申し出た理由として考えられるのは、

1.フィリポとアンデレはギリシア名をも持つ者たちであった

2.二人の出身地から考え、彼らはギリシア語を理解できた

3.ギリシア人たちのプライドから、頼むならフィリポと考えられます。

また、ヨハネ福音書6章8節には、アンデレの物語があります。

ヨハネ福音書では、アンデレはイエスと出会う以前は洗礼者ヨハネの弟子であり、イエスに兄ペトロを紹介した弟子とされています。

ヨハネ福音書ではイエスの一番弟子です。

6章9節の「5千人での食事」の出来事で、アンデレはイエスに、

「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」

と進言しています。

時は夕暮れ、しかも人里離れた場所、ここに「五つのパンと二匹の魚」があります。

マタイ、マルコ、ルカたちの福音書によれば、このパンは弟子たちの手持ちとされていますが、ヨハネ福音書では少年が差し出しています。

むしろ、「少年に差し出させている」と言えます。

弟子たちの「手持ち」であるならば、話はシンプルでしたが、著者ヨハネが「少年の」と描くことによって話は拡がります。

弟子たちには手持ちがある。

少年も持っていた。すると、それらは、それぞれの夕食あるいは翌日の糧であったのでしょう。

5千人分の食事を弟子たちが賄わなければならないと言っても、めいめいがイエスの「追っかけ」をするための弁当を持っていたとなると、それを分け合って「しのいだのか」との邪推も起こります。

このような人間的な、合理的解釈を払拭するものとして、著者ヨハネは幾つかの布石の言葉を散りばめています。

それが、7節の、

「めいめいが少しずつ食べるためにも」

「二百デナリオン分のパンでは足りない」

であり、9節の、

「けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」の言葉です。

― わずかのパンを大勢で分けるにあたって、めいめいが感謝して少しずついただき、ふところに持っていたパンを加えて差し出す。イエスを慕って集い合った者たちが、感謝と謙虚さと隣人への思いやりを持って持ち物を差し出し合うならば、五千人の飢えもしのげるかもしれない ―

そんな淡い思いを、著者ヨハネは吹き飛ばします。

「めいめいが少しずつ食べるためにも」

「二百デナリオン分のパンでは、足りない」

「五つのパンと二匹の魚では、何の役にも立たない」

と、フィリポとアンデレに言い切らせています。

身もふたもない言葉ではありますが、安易に人々の善意に期待しない、清々しい言葉にも聞こえます。

話しの展開は、これはイエスによる奇跡に関わる出来事ですから、パンは見事に増え、あふれるばかりに余ったのでした。

 

アンデレは殉教に至るまで、生涯キリストに従いました。

本日の聖書箇所に戻りますと、

38節、イエスは彼らに「何を求めているのか」と問われます。

「何を求めているのか」との問い。

 突然の問いというものは、戸惑うものです。

 彼らは「どこに泊まっておられるのですか」と尋ねます。

 この質問に対してイエスは、

39節、

「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。》

とあります。

 ところが、ヨハネ福音書はイエスがおっしゃった「来なさい。そうすれば分かる」というものも、弟子たちがどんな場所を見たのかも書いてはいません。

 ただ、「そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである」とだけ記されています。

 39節に、「午後四時ごろのことである」とあります。

 ヨハネ福音書の言う日時には特別な意味が込められていると初めに述べしました。

 この「午後四時」という表現も、「完全な時間」を表すと考えられています。

つまり、夜ではなく、闇でもなく、夕暮れの予感でもなく、完全に光の中にある状態を指しているということです。

 折に触れて、「主の光の中を歩こう」(イザヤ2章5)との呼びかけや、「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」(ヨハネ11章9)との言葉があります。

 

洗礼者ヨハネの弟子であった二人はイエスを離れません。

 どこにお泊りであるかを知りたいと願い、そこへ従って行き、そこに留まることを果たしています。

これを出会いというのでしょう。一晩じっくりと御言葉の解き明かしを求めたに違いありません。

 しかし、他の福音書が伝えるには、

マタイ8章19節、

《そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」》

と記されています。

 イエスには、「枕する所もない」のではなかったのか。

 これは、単に翻訳によることですが、弟子たちは「イエスのもとに泊まった」と訳されています。

ここは、イエスと共にとか、イエスと一緒にとも訳せるところでしょうけれども、「イエスのもとに」とされていることは、名訳であろうと思います。

 御子の降誕の出来事以後、もはや神が人間に宿ることはなく、私たちこそ神に宿る者とされたのではないでしょうか。

 二人も弟子も、どこで宿ったのかではなく、イエスのもとに宿らせていただいたのでありましょう。

 

イエスは、どこに宿られているのであろうか。

「神の国はいつ来るのか」という人々の問いに、イエスが答えておられる場面があります。

ルカ17章21節、

《『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」》

と示されています。

 イエスが宿られるのは私の心の中ではありません。

 ヨセフとマリアの間に御子は宿られたように、私たちの間にイエスは宿られているのです。

 神と人、人と人の間にキリストはおられます。

ゆえに、私たちの間にキリストがおられるように今日から始まる待降節を、アドヴェントを歩んでまいりましょう。

 

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます」