2024.09.29説教「天使の日」

ミカエルと天使の日

「天使の日」

 

ダニエル10章10-14

 10:10 突然、一つの手がわたしに触れて引き起こしたので、わたしは手と膝をついた。

 10:11 彼はこう言った。「愛されている者ダニエルよ、わたしがお前に語ろうとする言葉をよく理解せよ、そして、立ち上がれ。わたしはこうしてお前のところに遣わされて来たのだ。」こう話しかけられて、わたしは震えながら立ち上がった。

 10:12 彼は言葉を継いだ。「ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た。

 10:13 ペルシア王国の天使長が二十一日間わたしに抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれたので、わたしはペルシアの王たちのところにいる必要がなくなった。

 10:14 それで、お前の民に将来起こるであろうことを知らせるために来たのだ。この幻はその時に関するものだ。」

 

ルカ10章17-20

10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」

10:18 イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。

10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。

10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」


「私たちの神と主イエスキリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」

 

 教会の暦では、本日は「ミカエルと天使の日」として、天使を覚える記念日とされています。

改まって天使について考える機会は少ないので、本日は天使について聖書より聴いてまいります。

 

「天使」は神からの使いと考えられますが、旧約聖書では「御使い」と訳されています。

例外として、ダニエル書だけは天使と訳されています。

新約聖書では「天使」とされています。

 

 名前が知られている天使といえばガブリエル。

イエスの母とされるマリアに現れ、神の子の受胎告知をした天使です。

また、マリアに先駆けて叔母のエリサベツにも洗礼者ヨハネとなる子の受胎告知をしています。

 受胎告知という点では、かつてアブラハムとサラ夫婦に御使いからイサク誕生の告知がなされたことは知られるところです。

 

 また、旧約における御使いの出現で知られるのは、

創世記28章11節、

「とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」

 ヤコブは、この場所を神が臨在する所として尊び、ベテル(神の家)と名付けています。

 

ほかに名前のある天使として知られるのが、大天使長ミカエルです。

ミカエルについては、旧約のダニエル書10章に登場します。

世界遺産で知られるフランス西海岸のモン・サン・ミシェルは、訳しますなら聖ミカエルの山とでも言いましょうか、天使ミカエルのお告げによって建てられた修道院が始まりです。

 このミカエル、新約の黙示録12章では、天での悪魔と戦う天使として描かれています。

そのため、ミカエルは武装した天使として知られるばかりでなく、戦う天使として記念されています。

 

 イタリアへ巡礼旅行をした際、特に目立ったのがヴェネチアの教会という教会の尖塔に天使像が取り付けられていたことです。

ローマにはサンタンジェロ城(聖天使城)という初期のローマ皇帝たちの霊廟(墓)があります。

この城の塔にもミカエルの像が建てられています。

 ここの像は、剣を掲げた大天使ミカエルです。

剣を抜いているように見えますが、これは剣を鞘に収めるところであろうと思われます。

 

サンタンジェロ城の名前の由来となった出来事があります。

西暦590年にローマでペストが大流行した時のこと、教皇グレゴリウス1世が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルにまみえ、ペスト流行の終焉のお告げとして受け取ったことに由来しているということです。

 この故事を記念して、初めに17世紀、改めて18世紀に、このミカエル像が建立されました。

 

 新約聖書に名前が記されている天使は二人しかありませんが、実はもう一人、旧約聖書の続編(ユダヤ教では外典)とされるトビト記に登場する天使ラファエルがいます。

 ヨハネ福音書5章3節にベトザタの池での場面があります。

5:3「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」

 この水を動かす天使がラファエルであるとされ、癒しを司る天使として伝えられます。

 

 さて、天使について圧倒的な情報をもたらしてくれる書簡は黙示録です。

その中から天使の働きについて選りすぐりますと、

1章20節、

「あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。」

 つまり、一人のキリスト者に一人の守護天使がいるというわけではなく、一つの教会・一つの群れに対して、天使は守護するということでありましょう。

 

4章5節、

「玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。」

燭台には、ともし火があり、それは神の霊であると語られます。

 

14章6節、

「わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」

 

19章10節、

「わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊なのだ。」

 

22章8節、

「わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。すると、天使はわたしに言った。『やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。』」

 

天使自らが神に仕える者であり、信仰者たちの同労者であると宣言しています。

ゆえに、2000年にわたる教会の歴史を見ても、天使を仰ぐような天使信仰は避けられたのです。

天使とは、個人的なわがままを聴いてくれる神からの遣いではありませんが、信仰者の群れである教会を守護し、神の御心に沿うように私たちを促すために遣わされた存在であることを、親しみをもって覚えてまいりたい。

本日は、天使とは何者かを聖書から聴いてまいりました。

その中で、私自身が天使から学びたいと感じたものは、やはりローマのサンタンジェロ城の上に掲げられた大天使ミカエルの像が、抜いた剣を鞘に収めようとする姿でありました。

現在、剣を抜いたまま、鞘に収めることを知らぬ国々が乱立する中で、教会は剣を鞘に納めることを学び、剣は収めるべきものであるとの声を上げ続ける使命を担って行く術を、天使から学んでまいりたい。

 

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。」


次週の説教題は「パートナー」です。