2025.3.23説教「人生の実り」

四旬節第3主日

「人生の実り」

 

ルカ13章1-9

◆悔い改めなければ滅びる

 13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。

 13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。

 13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。

 13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。

 13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

 ◆「実のならないいちじくの木」のたとえ

 13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。

 13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』

 13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。

 13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」


「私たちの神と主イエス·キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」

 

四旬節も半ばを迎え、イエスが確かに私たちの世界へと訪れてくださったように、十字架による受難の時もまた、刻一刻とキリストに近づいて来る福音書の記録を読んでいます。

 

本日は、福音の記録者であるルカ·オリジナルの御言葉を読んでまいります。ルカだけが持っていた資料による記事ですが、初めの部分から「ピラトによるガリラヤ人流血事件」という大層物騒な出来事が記録されています。

これは事件です。

イエスは、この事件の報告をきっかけとして、一人一人が皆「当事者」として悔い改めて行くこと、すなわち、それぞれが人生の方向を見定め、《総じて必要なことですが》方向転換を促す機会とされています。

何事が起ったのかを読んでまいりますと、

13章1節、「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。」

とあります。

「ピラト」とは、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督であり、イエス様の裁判と処刑に関わった総督として伝えられています。私たちが礼拝の使徒信条で「ポンテオ·ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と告白している、あのピラトです。

イエスの受難の出来事を辿れば、必ず登場することになるローマから派遣されたユダヤの総督であったポンテオ·ピラト。

 

皆様はピラトという人物について、どのような印象をお持ちでしょうか?

聖書だけを読んでおりますと、私個人としては悪い印象ばかりではありません。なぜなら、本日のルカ福音書によりますと、

23章4節には、《ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。》

とあるように、ピラトはイエスに罪を見出してはいません。

 と言いますのは、ピラトはローマ法に基づく「犯罪」を見ていましたが、群衆たちはユダヤの宗教的戒めに基づく「罪」を訴えていたからです。

 23章20節では、「ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。」

とあり、さらに、

 23章22節でも、ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

と、無罪と釈放を群衆に提言しています。

 

 では、使徒信条でイエスを十字架へと追いやった張本人として、永遠に語り継がれることになった、この不運なピラトの罪とは何かと言えば、

23章24節、「そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。」

からでありました。

死刑執行の権限はユダヤには与えられておらず、ローマ総督にしかなかったのです。無実の者を死に追いやった過ちと言えるでしょう。

 マタイによる福音書では、ピラトの妻についても言及されています。おそらく自己保身からの発言ではありましょうけれども、

マタイ27章19節、《一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。》とピラトへの進言をしています。

 

 さて、本日の箇所で取り上げられております「ピラトによるガリラヤ人流血事件」に戻ります。

 13章1節、「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。」

とありますから、巡礼で犠牲の動物を携えて来た人々の行例で起こった出来事であったのか、もしくは、外国人は出入り禁止であるはずの場所、犠牲の捧げ物が屠られる神殿の境内で起こされた事件であった可能性もあります。

もし、そうであるならば、ユダヤ人にとってはローマ人による暴挙でありました。

 キリストの十字架以後、ユダヤで祭司の子として生まれ、ユダヤで起こった出来事を克明に記録した著述家がおりました。

 その名は、ヨセフ·ベン·マタティアフ。のちにローマの市民権を得て、別名ティトゥス·フラウィウス·ヨセフス。単にヨセフスとも呼ばれ、生年は、37年 から100年頃とされる人物です。

紀元前200年頃からの歴史をまとめ、かつてのユダヤ独立運動から紀元70年に起こるローマによるエルサレム陥落に至るまでを述べた「ユダヤ戦記」や、 天地創造から始まるイスラエル民族の歴史を描いた「ユダヤ古代誌」が知られています。

残念ながら、ヨセフスは「ピラトによるガリラヤ人流血事件」については何も書いていませんが、ピラトによる他の悪行について記しています。

それは、紀元35年頃のサマリアでのこと、キリストの十字架から間もない頃のことでした。

ピラトは、サマリア人が彼らの聖地であるゲリジム山で犠牲を捧げる礼拝をしていたところへローマ兵を送って襲撃し、流血事件を起こした、というものです。

被害者であるサマリア人たちはローマに提訴し、ピラトが召喚される結果となった事件が、ヨセフスの古代誌(18巻4)に記録されていると、研究者による報告があります。

また、ユダヤ戦記(2巻9)には、ピラトがユダヤ人の宗教感情をしばしば故意に傷つけたことが述べられ、しだいにユダヤでの緊張が高まり、やがて30年後の紀元70年にはローマへの反発としてユダヤ人が蜂起するに至ったと綴られているそうです。

ヨセフスの記録によれば、ピラトが悪党であるという印象は避けられないものとなっています。

 

本日の箇所では、「ピラトによるガリラヤ人流血事件」の報告を受け、イエスは群衆に悔い改めを促す機会としておられます。

この事件のことをイエスに「告げた」者がおりました。

それは誰か。

13章2節、《イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。》

「災難は罪の結果」としていたのがファリサイ派でしたから、イエスの問いかけの内容からすると、ファリサイ派の人々への問いかけであり、事件の報告者は彼らであったと考えられます。

イエスは、明確にお答えになります。

3節、《決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。》

「災難は罪の結果ではない」との宣言です。あるいは、災難を罪の結果と見ることへの断罪です。

イエスは、災害や災難によって避け難く死に至った人々の出来事を振り返りつつ、神の前に悔い改めのない人生もまた、避け難く永遠の死に至るものであると例えられています。

災難というだけでなく、これらが人災でもあることを覚えます。人災は、改めるべきものです。そこには、改めなければならない責任と、改めることができる可能性があります。

そこで、イエスは、平易な例え話を語られます。

 

13章6節、《そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。」》

と始まります。

 7節、《そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』》

 

 主人は、いちじくの実を探しに来たが見つからない。しかも、1度だけではない。3年もの間、期待と落胆を重ねて来たのです。そして、園丁に対して実のならない責任を負わせるかのように問いただします。

 

 8節以下、《園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」》

 

 主人と園丁の対話です。

 この「園丁」という労働者の職務を聞くと思い出す場面があります。

 ヨハネ福音書が語る、あのキリストが復活された朝の場面です。

 ヨハネ20章15節、

《イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」》

 

 ヨハネ福音書では、復活の朝、マグダラのマリアは墓場で、そこに立つ人を園丁であると思い込んでしまいましたが、実は復活のキリストご自身であったと伝えられています。

「園丁」という労働者については、福音書では、ここでヨハネが描いている園丁と思しきキリストの姿と、先ほどのルカが例え話で書いていた園丁の2箇所だけにしか登場しません。

 すると、ルカ福音書から随分遅れて書かれたヨハネ福音書は、今日読んでおります、このルカ福音書で例えられた園丁こそ、まさしくキリストのことであったのだという証言として受け取ることもできます。そこに、福音の記録者ヨハネの意図を感じます。

 また、主人が実を探しに来た3年間という月日は、福音書が伝えるイエスと弟子たちによる伝道生活·伝道旅行が、おそらく3年間であったであろうと考えられることと重なります。

 

 言うまでもなく、主人と園丁との対話は、神と御子との対話を映すものであり、御子による神への執り成しでありました。

 御子が神に執り成す努力として、「木の周りを掘って、肥やしをやってみます」との言葉があります。

 なるほど、木の成長と実りというものは、木がおのずから持つ生命力によるものです。

園丁が木に直接触れることはなく、木そのものをどうにか変えることは出来ませんが、雑草を取り除き、肥しをやり、水を絶やさない世話に努めるものです。

キリストの執り成しというお働きもまた、そのように例えられるものなのかもしれません。

伝道者パウロの言葉を思い起こします。

コリントの信徒への手紙Ⅰ·3章6節、《わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。》

そして、木の成長と生命力に当たるところの、人間の悔い改めによる責任と可能性を、キリストは引き出してくださるお方ということでありましょう。

9節の、《そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」》

という結語は、園丁たるキリストの十字架によって、もはや決定的に「問われることのないもの」とされます。

 実る人間であるのか、実らない人間なのかは、キリスト以後、問われるという試練は拭われました。

 なぜならば、キリストを信じる私たち自身が、キリスト自身の実りとされたのです。

 それゆえに、もはや切り倒されるどころか、キリストの復活により、キリストと共に立ち上がる者とされたのです。

 

 キリストの実りとされた私たちは、神が愛してやまないこの世界の実りとして分かち合われるべく、キリストによって派遣されて行くのです。

 

 最後に、伝道者パウロが語るところの、キリストの実りとして生きるための勧めをご紹介して終わります。

 ガラテヤの信徒への手紙5章22節以下、

《これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト·イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。》

 

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。」