2025.5.4説教「終活」
復活節第3主日
「終活」
ヨハネ21章1-19
◆イエス、七人の弟子に現れる
21:1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。
21:2 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
21:3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
21:4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
21:5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
21:6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
21:7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
21:8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。
21:9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
21:10 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
21:11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
21:12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
21:13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
21:14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
◆イエスとペトロ
21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
21:16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
21:19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
「私たちの神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」
本日の御言葉は、ヨハネによる福音書21章から聴いてまいります。
この21章は、ヨハネ福音書が世に出されてのち、教会によって補足されたと思われる部分です。
なぜ教会が福音書の末尾に付け足さなければならなかったのかを考えますと、それは教会の信仰告白であり、また教会の考えである神学というものからの必要があったからでありましょう。
話題豊かな21章でありますが、何よりも「教会によるペトロの弁明」という印象を受けるものでもあります。このことこそ、補足しなければならなかった教会の事情というものではなかったかと思われます。
と言いますのは、伝統的にはペトロはキリストの12弟子の筆頭として尊ばれ、キリスト教会の出発点と受け止められていたことでしょう。
にもかかわらず、ペトロ自身の信仰の弱さというものも、各福音書には記録されておりましたから、ペトロの弱さを少しでも弁明しようとする試みが、この21章であるように思えます。
前半の部分はそこに記された出来事を取り上げながら、そして、後半の部分では本日の説教題としております「終活」という、終わりから今を考えるという聖書の視点を取り上げてまいります。
ではまず、21章1節から14節までを見てまいります。
1節、
《その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。》
と始まります。
ヨハネ福音書においては、復活のキリストの3度目の顕現となります。
補足としての始まりですが、復活のキリストが弟子たちの隠れ家へと顕現された出来事の続きとして語られています。
「ティベリアス湖畔で」すなわち、舞台はエルサレムから「ガリラヤ湖」へと移ります。
これは、最初の福音書であるマルコによって、天使と思しき若者が「復活のキリストとはガリラヤで会える」と告げていたことに基づくものであるでしょう。
マルコ16章5節以下、
《墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」》
次に、ヨハネ21章2節では、
《シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。》
とあります。
ヨハネ福音書では、キリストの弟子は12人とは限りません。
他の福音書では紹介されていない、ナタナエルがここにいます。
3節、
《シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。》
キリストが復活されたのち、弟子たちがガリラヤ湖で漁をする姿は、もちろんヨハネ福音書だけにある場面です。
ペトロは「わたしは漁に行く」と言って、手に網を取っていますが、ペトロはイエスとの出会いによって「網を捨てた」はずでした。
しかし、従うべきイエスを失い、再び網を手に取ったのでしょうか。
マルコ1章17節以下に、
《イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。》
とある通りです。
ヨハネ21章4節では、復活のキリストが現れます。
《既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。》
しかしながら、それがキリストであることは弟子たちには分かりませんでした。
復活の朝、墓場でキリストにまみえたマグダラのマリアもまた、復活のキリストとは思わず、墓場の園丁と見間違えたのでした。
それは、復活のキリストとは、生前のイエスのお姿とは、それほどに異なった様子であったのでしょうか。
それとも、彼らが死者たちの中にキリストを探していたから出会えなかったのでしょうか。
5節、そのキリストが弟子たちに声をお掛けになります。
《イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。》
復活のキリストが、「食べ物」を求めておられます。
これは、「体のよみがえり」という出来事を示唆する描写でありましょう。
あるいは、物わかりの悪い弟子たちに対し、復活の体でありながら、食べて見せようとでもいうキリストの心砕かれたメッセージでありましょうか。
6節、キリストは再び弟子たちに語りかけられます。
《イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。》
夜通し漁をしても何も得ることは出来なかった弟子たちですが、キリストの言葉にうながされて、再び網を打つのです。
この場面は、ルカによる福音書が伝えた、イエスが初めに漁師たちを弟子とされた出来事が挿入されています。
ルカ5章4節以下、
《話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。》
ヨハネ21章を読む者は皆、このルカが伝える漁師たちの召命物語を思い起こすことでしょう。
そして、ヨハネ福音書にはありませんが、さらにルカが、この召命物語の最後に記していた言葉も読者は思い起こすのです。
ルカ5章8節では、
《これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。》
と続けられておりました。
むしろ、ヨハネ福音書は21章で弟子たちがキリストに召し出された場面を読者に思い起こさせることにより、さらに、この続きの言葉による、キリストに対していだくペトロの怖れと敬虔さをも思い出させることが期待されていたように思えます。
ヨハネ21章7節にあった、
《シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。》
という、水に飛び込むのにもかかわらず上着をまとうペトロの姿も、同様に受け取れます。
9節以下、
《さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。》
ペトロが陸に上がると、キリストによって食卓が用意されていたのです。
炭火がおこしてあり、すでに魚とパンもありました。
キリストは、そこへ取った魚を加えなさいとおっしゃいます。
なるほど教会の宣教というものは、キリストが整え、働かれているところへ、私たちも招かれ、加わっていくことなのだと連想させられます。
13節、
《イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。》
キリストは、最後の晩餐でもなされたように、感謝してそれを裂かれたことでしょう。
マルコ14章22節、
《一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」》
また、「エマオ途上」と呼ばれる、エマオへの旅の道連れとなってくださったキリストにも弟子たちは気づけませんでしたが、パンを裂かれたとき、弟子たちはキリストと出会って行くのです。
ルカ24章28節以下、
《一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。》
以上、ヨハネ21章1節から14節を見てまいりましたが、十字架以前のイエスや弟子たちの印象を引き出す語りかけとされていることがわかります。
ヨハネ福音書21章15節からの後半は、まず15節から17節まではキリストとペトロの問答が書かれています。
キリストからの「愛しているか」との3度の質問、そして、ペトロによる「愛しています」との3度の応答です。
これこそ、教会によるペトロについての弁明でありましょう。
というのは、ペトロはイエスが捕らえられたとき、ユダヤ人に対してイエスとの関わりを3度否定するという負い目を負っています。
これは4つの福音書すべてに記録されたペトロの弱さです。
イエスはペトロに宣告しておられました。
ヨハネ13章36節、
《シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」》
そして、ヨハネ18章24節、
《アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。》
とある通りです。
それゆえ、教会は「ペトロの汚名」を晴らす必要がありました。
現代に至るまでペトロは初代教皇として伝えられているように、初代教会においても尊ぶべき存在でありました。
マタイ16章18節以下、
《わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」》
と、イエスからの祝福に基づくものです。
さて、最後に注目する御言葉は、21章18節、19節です。
《はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。》
私たちはキリスト者として、クリスチャンとして、どこで勝負しようと心得ているでしょうか。
礼拝への向き合い方でしょうか、あるいは社会での働き方でしょうか。それとも、社会での人との関わり方でしょうか。
いずれにしても、多くの人はクリスチャンとしての生き方で信仰を証ししようとの心づもりでおられることと思います。
ところが、19節では、
《ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。》
と衝撃的な言葉で綴じられています。
この言葉は、直接的にはペトロの殉教という死を指していると思われます。
事実、ペトロはエルサレム教会の指導者となるわけですが、のちに教会を後継者に託すと、ペトロはパウロのごとく、ユダヤから出て、最終的にはローマでの宣教に携わります。
そして、紀元67年頃、皇帝ネロの時代に殉教したと伝えられます。
とすると、キリストから殉教の死を宣告されたのち、30年以上も宣教に従事したということになります。
《このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。》
殉教を宣告されたペトロは、ペトロの手紙Ⅱ・1章14節で、
《わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。》
と、キリストから託された人生について語っています。
《死に方で、神の栄光を現す》という意味について、「神の栄光」とは「神の心の現れ」であろうかと思います。
それは、「その人の死について神が責任を持つ」ということでありましょう。
人生は道、あるいは旅と言われる通り、出発点があり到着点があるものです。来た所、行く所を知っているということです。
(言うまでもなく、出発点が無ければ人生は始まらず、到着点を見失えば迷うことになるのです。)
人生の終わりを考えて今を生きる「終活」という言葉が流行っています。
その実は身辺整理のようにも見えますが、もっと深い意義が隠されているのでありましょう。
助けていた者が、助けられる者となる。
与えていた者が、与えられる者となる。
教えていた者が、教えられる者となる。
人を尊んでいた者が、人から尊ばれる者となる。
任せられていた者が、任せる者となるのです。
今、私たちが、隣人に、社会に、世界に向けて、助け、与え、教え、尊び、任せられるよう尽くすことは、やがて、助けられ、与えられ、教えられ、尊ばれ、任せるための備えでありましょう。
「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。」
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