2025.5.11説教「再び」

復活節第4主日

「再び」

 

使徒言行録9章36-43

9:36 ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。

9:37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。

9:38 リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。

9:39 ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。

9:40 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。

9:41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。

9:42 このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。

9:43 ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。


「私たちの神と主イエス·キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」

 

 先週は、ヨハネによる福音書21章という、初代教会によって福音書に補足された言葉から、キリストの弟子ペトロに対する教会による弁明を読みました。

 キリスト教の伝統では、弟子ペトロは教会の基礎とされている人物ですから、使徒言行録の言葉からペトロについて読み、ペトロを通して開花されてゆくキリスト教の側面、その世界とメッセージを聴いてまいります。

 

 カトリック教会の総本山は、ローマのバチカンであり、そこに立つサン·ピエトロ大聖堂でありましょう。「サン·ピエトロ」とは、「聖ペトロ」という意味であり、ペトロの墓の上に建てられたと伝えられています。

 ルーテル教会は、1517年のマルチン·ルターによる宗教改革でカトリック教会から離脱した教会です。ルターの改革の出発点は、伝道者パウロがキリストに見出した福音というものを、ルターが再発見したことから始まったと言われていますから、ペトロよりもパウロに注目して来たと言えます。

 ローマを訪ねますと、何といっても中心にサン·ピエトロ大聖堂がそびえており、また、そこ、ここでサン·ジョバンニ、すなわち洗礼者ヨハネが記念されているのを見かけます。しかしながら、パウロを記念する寺院は町のはずれにあるばかりでした。

 さて、本日読んでおります使徒言行録9章36節以下では、まずタビタという女性の死の知らせから始まります。36節、

《ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。》

とあります。

 ヤッファという町は、エルサレムから西へエマオを通り、リダを抜け、地中海に出たところにある町でありました。そこに住む「女性の弟子」という説明からも、タビタはユダヤ人キリスト者であったと思われます。

「使徒言行録」とは、その名の通り、キリストの弟子たちによる宣教の記録であります。

 タビタの「善い行いや施し」は、キリスト集会(教会)によって委託されていた務めとしての愛の活動であったとも考えられます。それは、集会としての弔いの様子であるからです。

 タビタの死に遭遇した弟子たちは、ペトロに伝えます。38節、

《リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。》

と続きます。

 タビタの死に際して、弟子たちがペトロを呼んだのは、なぜでありましょうか?

呼びかけに応えて、ペトロは直ちに行動しますが、ペトロを動かしたものは何であったのでしょうか?

また、タビタに「よみがえる」という「再び」人生が取り戻される奇跡が起こされたのは、なぜなのでしょうか?

ペトロは「ヤッファ」からほど遠くない「リダ」にいたので、ヤッファにいた弟子たちから呼ばれたのでした。すでに、蘇生·よみがえりという奇跡も起こり得る弟子の働きは評判となっていたようで、弟子なら誰でもではなく、評判のペトロによる奇跡が期待されての呼びかけであったと考えられます。

 ともすれば、タビタは社会に貢献していた弟子であったから、これほどまでも手厚く対応されたようにも映ります。もちろん、そうではないのです。

 40節、

ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。》

 ペトロが奇跡を起こしたのではありません。彼が行ったのは、キリストの名によって祈ったこと、

タビタに呼びかけたこと、

目覚めたタビタに手を貸して立たせたこと、

これらのことの目撃証言でありました。

 死に臨むタビタに寄り添ったのは、陰府に下られたキリストであり、復活のキリストがタビタと共に立ち上がられた、という出来事でありましょう。

 信仰という視点から命の不思議を考えますと、授かった命は授けてくださった方にお返しするものです。また、戦争という罪·人災は別として、私たちは自分の命の長さについて、神のお許しがない限り、一日たりとも長くすることも短くすることもできないと受け止めることがふさわしいものです。

命、それは望まれて生まれ、喜ばれて生かされ、尊ばれて見送られるものです。この命の尊さは、一日だけの生にも百年の人生にも等しく与えられる神からの祝福です。

このタビタという女性が、ペトロを通して奇しくも起こされた、よみがえりの奇跡により、再びしばらくの人生を与えられたことは、彼女の貢献度によるものではないと言えましょう。

命とは、神の心の現れなのですから。そして「再び」とは神の愛と赦しそのものを表すものであるのです。

 ここで、「社会的貢献度」というものについて考えてみます。

 ある教会における社会的貢献度にまつわる事例があります。

 教会の会員が転居により他の教会へと移られることはあります。そして、しばしばあることですが、訃報の知らせが届けられます。

 知らせを受けた教会の旧友の方々がおっしゃるには、「故人は、この教会におられた頃には、教会の働きに大変貢献された方だから、教会から弔電を送ってほしい」というのです。

 私からの応答はもちろん「たとえ教会へ貢献する機会がなかった方であったとしても、訃報が届けられれば弔電をお送りしますよ」というものでした。教会が、その貢献度によって分け隔てすることはございませんし、公平に対応することは言うまでもありません。

 このように、私たちは知らず知らずのうちに社会の風潮に慣らされて、社会的貢献度によって対応を図りかねない危うさと隣り合っているように感じます。

 

「善」という漢字は、神の働きを表わすものでもあり、「神」の代替語としても用いられます。「善行」「善い行い」を考えることによって、私たちが隣人のために行動することのみならず、私たちの行為を通して、そこに働かれる神のわざを見るのです。

 

 そこで、ある教会の青年との「善い行い」についての対話と、「救われること」についての模索を、皆さんとも分かち合おうと思います。

 礼拝の後、一人の青年が「救われる」とは、どういうことですか?との質問をしてきました。

 教会においては、「救われる」という表現は「当たり前」のことでもありますが、具体的に説明するとなると難しいことでもあります。

 また、救いの体験というものは、ひとりひとり異なる体験によって実感するものでもありますから、「これです」と見せられるものでもないでしょう。

 強いて言葉にすれば、「祈ること以上に、祈られる体験をすること」「愛すること以上に、愛されていたことを知ること」「受け入れられること」「大切にされること」など、与えられたことへの気づきと言えるでしょう。

 その青年は、弱い立場に置かれている人への共感力に優れており、少しでも助けたいとの熱意を持ち、行動している方です。

 特に、かわいそうな子どもたちの暮らしに痛みを覚え、支援することを通して少しでも幸せになって欲しいと願い、そのためにも善い行いを心がけていました。

 確かに、善い行いには、かわいそうな状況を幸せな状態へと改善できる可能性があります。これらのことについて、青年と対話を交わしました。

 

 かわいそうな状況を幸せな状態へと変えようとすることは、かわいそうな誰かが、自分のようになることが目指されているのではないでしょうか?

 例えば、

貧しくて食べられない人が、食べれるようになること。

安心して眠れるところがない人が、眠れる場所を持てること。

仕事がない人に、仕事が見つかること。

 また、

助けられるよりも、助ける人となること。

与えられるよりも、与える人になること。

愛されるよりも、愛する人になること。

 さらに言えば、

ゆるされるよりも、ゆるす人になること。

信仰のない人が、信仰のある人になること。

などが、目指されてはいないだろうかと共に考えました。

 そこで、伝道者パウロの言葉を紹介しました。

 コリントの信徒への手紙Ⅰ·9章19節以下、

《わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。》

 

 パウロは、「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです」と言っています。その目的は、「何とかして何人かでも救うためです」とも言っています。

 つまり、誰かを救うために/その人の救いのために、パウロ自身と同じ境遇にしようとするのではなく、パウロの方からその人と同じ状況に入って行きました。それは共に生きるためでした。

 この姿は、神の御子がキリストとして、私たちの世界にくだられたことを思い起こさせます。

 フィリピの信徒への手紙2章6節以下、

《キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。》

とパウロが述べている通りです。

 善い行いによって、過酷な状況に置かれている人の暮らしを幸せな状態へと改善することはできるかもしれません。

 しかし、生活が改善された状態になることが、救われるということの実現ではないのです。

 救いというものは、すでに厳しい状態の中から始まるのです。弱い立場に置かれている人に気づき、そこで寄り添うことから、神による救いは始まっているのです。

 

 本日の使徒言行録の最後の43節には、

《ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した》

とありました。

 「革なめし職人」という職業について、ここでは多くを語りませんが、どの国、どの町にあっても、最下層の厳しい立場に置かれた人々、貧しい暮らしを強いられていた人々の歴史があります。

 そこにペトロは身を置いています。一つ屋根の下、共に眠り、共にわずかな食物を分かち合ったことでしょう。もちろん、そこでキリストの福音も分かち合われたのです。その町で、そこから福音は始まったのです。

 貧しく、厳しい暮らしの彼らが、キリストの証人であったペトロたちを受け入れたのは、生活の苦しさや社会的立場の過酷さにもかかわらず、ペトロたちによるキリストの福音を豊かであると知ったからであり、そこに福音と救いを見出したからでありましょう。

 社会から敬遠され、人々から見捨てられている限り、貧しさや生きることの厳しさは力をまといますが、ひとたび、その痛みに寄り添う人々が現れた時、貧しさや厳しさは力を失うのです。

 貧しさを選ぶ者、貧しさに寄り添う者によってもたらされる、人としての愛と、尊厳と、喜びが回復されるところに、救いは始まるのです。

 ペトロを通して、当時の社会的最下層に置かれていた革なめし職人というシモンの家に福音が届けられました。

 貧しさにもかかわらず、ペトロたちを受け入れたシモンの家に、キリストによる救いが訪れたのです。

 私たちキリスト者もまた、社会の痛みに寄り添うことにより、すでに働かれている神の救いの始まりを証しする者とされるのです。

 

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。」