2025.08.03説教「乙女峠のキリシタン」
平和の主日
「乙女峠のキリシタン」
ルカ12:13-21
12:13 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
12:14 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
「私たちの神と主イエスキリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」
本日は、平和の主日として戦争の終結の祈りを捧げ、説教は聖霊降臨後の日課であるルカ12章21節より、神との平和について聴いてまいります。
説教題を「乙女峠のキリシタン」と致しましたが、神との平和について考え、思い巡らしておりますと、繰り返し「乙女峠」で行われたキリシタン弾圧の史実が思い出されて仕方ありませんでした。
そこで観念して、乙女峠であったことを題材にして、神との平和について考えてみようと思います。
一言でキリシタン弾圧と言いましても、古くは
1587年、豊臣秀吉によるバテレン追放令・宣教師の国外退去が挙げられますが、実際には制限の緩いものでありました。
1596年、秀吉は禁教令を出し、京都で活動していたフランシスコ会の信徒を捕え、処刑しています(日本二十六聖人)。
しかし、これもフランシスコ会の活動に限られたものでありました。
のちに、
1612年、江戸幕府による禁教令を直轄地である江戸、京都、駿府に出しました。
1614年には全国に布告し、京都と長崎の教会は破壊され、修道士たちはマカオやマニラに国外退去しています。(高山右近も)
1616年の鎖国令により、禁教、棄教が進められていきます。
このような世情の中、
1867年、浦上村での300年にわたる隠れキリシタンの発覚により、江戸幕府によって捕えられた者たちのうち、153名が島根県津和野に流罪となり、光琳寺の本堂に幽閉されたという。
キリシタン弾圧はいつまで続けられたのか。
明治政府が誕生しても、
1868年、キリシタン邪宗門厳禁との高札が掲げられ、信徒を流罪とし、拷問や処刑が行われました。
山口県との境に近い島根県の津和野は交通の便がいいという土地ではありません。
わざわざ訪ねない限り行く機会は稀な所にもかかわらず、私は機会を得て3度訪ねることが出来ました。
現地にはカトリック教会の小さな記念堂が建てられています。
また、弾圧の様子が便所の塵紙に克明に記録されており、当時を偲ぶ資料として展示されています。
弾圧当初は津和野藩により改宗の説得が行われたが棄教する者はおらず、拷問により棄教を迫ることになっていきます。
子どもも捕らわれており、その様子がしたためられておりました。
「飢えに苦しんでいる子に、役人はおいしいお菓子を見せて、『食べてもいいけどそのかわりにキリストは嫌いだと言いなさい』と言うと、その子は、『天国の味がもっといい』と答えて永遠の幸せを選びました。
人間的に弱かった何人かは、口でキリストを捨てましたが、働きで得た金で食べ物を買い、信仰を守り通している人々にひそかに差し入れをして助けました。
この謙遜な痛悔と犠牲がキリストの真の精神だと認めたキリシタンたちは、自由になって故郷長崎に帰った時、『ころんだ』仲間たちの弁護をし、彼らは赦しを得て再び教会に入れられました。」
1870年(明治3年)までに、153名中、拷問により37名の殉教者が出ました。
他に、53名は棄教し、残る63名は
1873年(明治6年)の禁教解除により浦上へと帰還できたのです。
この史実を知って驚いたことは、
明治政府の責任の下で、津和野の地で37名もの殉教者が出されていたことです。
先ほどの記録に残されていた幼い子もその殉教者の一人となりました。
本日の福音書の箇所は、神の前に豊かであることの例えです。
私たちはそれぞれに「豊かである」ということの根拠をどこに置いているのでしょうか。
自分の快、不快であるでしょうか。
隣人の快、不快であるでしょうか。
私たち以前に、神の快、不快であるのでしょうか。
ルカ12章20節では、
「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」
とあります。
また、12章21節では、
「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
と告げられます。
キリシタン弾圧にあって棄教を迫られた「その子は、『天国の味がもっといい』と答えて永遠の幸せを選びました。」とありました。
言うまでもなく、今を生きている私たちの誰も、この子の神への信頼には及びません。
現代、「生きる」ということは、とても個人的な出来事になっているように思います。
いえ、イエスの時代においても、その例え話から伝わる背景は、個人的な快、不快であるように思えます。
しかし、殉教した幼子の人生は、隠れキリシタンとして神に生かされていました。
キリシタンという共同体の中で生かされていました。
拷問の弾圧の中でさえ、仲間と生かされていました。
そして、殉教に倒されたとしても、神のもとで生かされる魂の輝きがありました。
このように聴き、学ぶとき、生きるのではなく、生かされることに神との平和と豊かさがあるのだと教えられます。
限りある人生をいかに生きるかという枠付けや、快、不快という感情から解放されて、限りない信仰にある人生をいかに生かされていくかを求めてまいりたい。
「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。」
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