2025.10.12説教「街と街の間」
聖霊降臨後第18主日
「街と街の間」
ルカ17章11-19
◆重い皮膚病を患っている十人の人をいやす
17:11 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。
17:12 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、
17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。
17:14 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
17:15 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。
17:16 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
17:17 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
17:18 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
17:19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
「私たちの神と主イエスキリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように」
本日与えられました福音は、ルカによる福音書17章11-19節から聴いてまいりましょう。
聖書の小見出しには、「重い皮膚病を患っている十人の人をいやす」との小見出しが付いておりますが、これは聖書本文にはないものですから、礼拝での聖書朗読の際には読まなくてよいものです。
日本語訳聖書の翻訳の際、何が書いてあるのかを分かりやすく、探しやすくするために翻訳者によって付けられたものです。
現在出版されている聖書では、「重い皮膚病」と訳されておりますが、古い聖書・私の持っている聖書では、別の病名で記されています。
これは、その病気への差別や偏見を助長することになるゆえに訂正され、今は「重い皮膚病」という表現で統一されています。
これを改めないまま朗読することは、今もなお偏見に加担することになるという意識は大切なことです。
古い訳語のままの聖書をお持ちの方は、「重い皮膚病」と訂正をお願いします。
まず、17章11節を見ますと、
《イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。》
と始まります。
ここに、南のエルサレム、中央のサマリア、北のガリラヤという3つの地名・地域名が出ております。
今から3000年前、ダビデ王の時代には、イスラエルはこの3つの地域を含めて統一王国でありました。
しかしながら、ダビデの後継者ソロモンの後、王位継承で分裂し、北と中央が北イスラエル、南が南ユダ王国となりました。
その後、戦争によって北は紀元前722年にアッシリアによって滅び、イスラエル以外の外国人が移住させられて来たのです。
南も紀元前598年にバビロニアに敗戦し、捕虜となりますが、550年にはペルシアによって解放され、500年にはユダヤという名で祖国復興を果たします。
イエスがお生まれになる前に、ヘロデ大王によって北と中央の領土が奪還されますが、そこに住む人はそのままでありました。
属する国が違うということは、宗教も違うということでもあり、領土が奪還されたとは言え、北はまだしも、中央のサマリア人と南のユダヤ人とは決して交わることのない民族の断絶、絶交状態となりました。
さて、本日の箇所には、
《イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。》
とありましたから、北のガリラヤから南のエルサレムへ向かわれる途中でありました。
中央のサマリアを通れば近道ではありますが、サマリアは北からエルサレムへ巡礼する者たちを通すことは決してありません。
ですから、イエス一行は、西の地中海沿いを下るか、東のヨルダン川沿いに下るかの2つの道しかなかったわけです。
どこの町とも書かれていません。
むしろ、サマリアとガリラヤの間とは、町と町の間、民族と民族の間でもあり、町ならざる所であったことでしょう。
ここパレスチナでの町の成り立ちは、古い町の廃墟を埋め立て、その上に新しい町を築きますから、時代と共に、また町の移り変わりによって、新たな町は小高い丘となってまいります。
現地では、これを「テル」と呼んでいます。
ゆえに、町と町の間は窪地となり、谷間でありました。
その町と町の間である谷間を縫うように、イエス一行はエルサレムへと向かわれたのです。
そのような町と町の間には何があるのでしょうか。
そこは、くぼ地であり、詩編23編が語る所の「死の陰の谷」であり、あるいはイザヤ9章の言う「闇の中を歩む民」であり、「死の陰の地」そのものでありました。
そこには、様々な町から排除された病人たちがおりました。
さらに、罪人と呼ばれる者たち、外国人たちも寄留していたことでしょう。
彼らは、町から出されることによって、社会を奪われた人々であり、人との関わりも失った人々です。
そのような、人間としての尊厳をも損なわれた人々でありました。
その時、イエスは、重い皮膚病を患う10人の人々と遭遇されるのです。
自分たちの置かれた状況をわきまえる彼らは、遠くからイエスに癒しを求めたのでした。
イエスの評判は、ガリラヤから起こり、シリアやサマリアの外国人たちにもおよび、エルサレムにも伝わっていました。
そして、この谷間に生きる人々にも伝わっていたのです。
否、この死の陰の谷に生きる者たちにこそ、伝えられるべき福音でありました。
12節、
《ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。》
とあります。
村とは言え、同様の病を負い、町々から排除されて来た人々が肩を寄せ合っていた集落程度のものであったことでしょう。
イエスは、ある村で重い皮膚病の患者10人と出遭われます。
聖書には「出迎え」と書かれておりますから、彼らがイエスのうわさを聞き、出会いを心待ちにしていた様子がうかがえます。
ただ訪れを待っていたのです。
遠くの方に立ち止まったまま、
声を張り上げて、
イエスに「憐れんでください」と訴える以外に術はないのです。
この患者たちの集落を訪れる者は、身内以外にはなかったことでしょう。
イエスは、そこを通られました。
声が届くほどのところを通られたのです。
むしろ、イエスはその道を選ばれたというほうがふさわしいことでしょう。
また、ここでの事態は、民族と民族の狭間、国と国の狭間とも言える、その場の状況でありました。
この病気は人と触れ合うことが許されません。
ゆえに、遠くに立って、声を張り上げて、うわさに聞いていたイエスに願わなければなりませんでした。
移動を許されない彼らにとっては、そこにイエスが来られたこと、おられることは一生に一度の癒されるチャンスでありました。
彼らは「憐れんでください」と叫んだのです。
憐れむとはどういうことでしょうか。
彼らは何を求めていたのでしょうか。
病気であっても人として扱われること、大切にしてほしいということ、癒してほしいこと、人との触れ合いを取り戻してほしいことなどでありましょう。
「イエス様、どうか私を大切にしてください!人として扱ってください!」と、私には聴こえます。
14節を見ますと、
《イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。》
とあります。
病気の彼らを町から排除したのは誰か。
それは祭司の務めでした。
祭司法典であるレビ記13章の定めるところに従って、祭司が「けがれ」を宣言し、また、祭司が「清さ」を保証したのです。
イエスは、彼らに祭司たちの所に行くように命じられました。
そして、彼らはその言葉に従ったのです。
もし、彼らが癒された理由を求められるならば、イエスの言葉に従ったというだけで充分でありましょう。
これは、信仰の告白として見なすにふさわしいことです。
彼らは祭司の所へたどり着く前に、すでに体は癒されておりました。
15節、
《その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。》
とあります。
またしても「大声」が叫ばれています。
先の「大声」は、癒されるため、赦されるため、解放されるため、町に戻るため、人々と共にいるための、切実かつ悲痛な叫びでありました。
今回は、それらのどれかではなく、それらがすべて叶えられたことの、抑えきれぬ歓喜の声でありました。
「足もとにひれ伏す」とは、日常の行為ではありません。
王に対する態度であり、サマリア人の王でもあることが暗示されます。
17節、
《そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」》
と続きます。
イエスはほかの9人を叱責されているわけではありません。
彼らはイエスの言葉に従って、自分たちの祭司のところに身体の癒しを見せに行ったのですから、居所はわかっています。
ですが、彼らには、そこにいた弟子たちのように、イエスに従う道も開かれていたであろうに、とは言えるのです。
それ以上に、イエスの関心は、戻ってきたサマリア人に寄せられています。
この人は、失われていた一人であったのですから。
そして、十字架の後に取り戻されるべき一人でもあったのです。
9人のユダヤ人は去り、ひとりのサマリア人が戻って来る様子を通して、これから起こるであろうイエスの十字架の出来事がもたらすシナリオを、ルカはすでに見せていると言えるでしょう。
19節、
《それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」》
と御言葉が告げられます。
信仰が民族を越え、救いが国という垣根を越えた瞬間でした。
私たちはこの出来事を通して、イエスに対する真剣さが癒しと救いにより失われた者に取り戻されていく様子を見たのです。
信仰が立ち上がらせ、信仰が救う世界を見たのです。
本日の箇所を振り返って、イエスがサマリアとガリラヤの間を通られたのは、そこに町から排除された人々が生きていることを知っておられたからでしょう。
これは、もはや「そこを通った」のではなく、「そこを選ばれた」というにふさわしいイエスの歩みでありました。
イエスのご生涯は「水の流れ」のようです。
家畜小屋の飼い葉桶に生まれることとなったイエスは、世界で最も低い所を流れるヨルダン川で洗礼をお受けになりました。
その人生は、まるで水が低み低みへと流れて行くように、町と町の間を旅し、そこに生きる者と出会われ、十字架による受難という低みに向かわれるものであったのです。
キリストの流れは、あなたを潤し、あなたを押し流し、次の渇きと低みへと向かわれるのです。
「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます」
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