2025.12.21説教「ルカのクリスマス」

主の降誕・クリスマス

「ルカのクリスマス」

ルカ2章1-20

◆イエスの誕生

 2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。

 2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

 2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

 2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

 2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

 2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、

 2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 ◆羊飼いと天使

 2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

 2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

 2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

 2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

 2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

 2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

 2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

 2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

 2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


「私たちの神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」

 

 御子イエス・キリストの誕生に感謝致します。

 キリストがもたらした愛と赦しによって、世界が生まれ変わったからです。

 そして、キリストが来られたという良い知らせに触れたならば、私たちの世界は憎しみと争いを放棄して、生まれ変わるよう求められている御言葉を聴くのです。

 私たちはそれぞれに、どれほどのクリスマスを重ね重ね迎えてきたことでしょう。

 また、どれほど多くのクリスマスのメッセージを聴いてきたことでしょうか。

 今年の降誕祭では、ルカによる福音書2章からクリスマスのメッセージを聴いてまいります。

 

 1節、

「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。」

とルカは語り始めます。

 これは歴史的出来事です。

おとぎ話ではなく、当時世界最大であった国家・ローマの支配下にあった世界最小の国・ユダヤの、ベツレヘムという村にある家畜小屋で起こったことでした。

 天使のお告げにより、神の子の母とされたマリアと、マリアを受け入れることによって父とされたヨセフは、ローマによる住民登録のために故郷への旅の途上でありました。

 ヨセフの故郷ベツレヘムでのこと、宿屋には泊まる場所はなく、家畜小屋での出産となり、生まれた幼子は飼い葉桶に寝かせられています。

 このささやかであるけれども幸福に満ちた瞬間が、現代では壮大なドラマとして伝えられています。

 

 家畜小屋での出産、飼い葉桶に寝かされた幼子。

これ以上の貧しい状況は考えにくいほどですが、だから何だというのでしょう。

旅の苦労の末、無事に出産できたこと以上の幸いがあるでしょうか。

 

 日本も歴史を少しさかのぼれば、私を取り上げてくださった産婆さんの時代でした。

私たち家族の住居は農家の納屋の二階に下宿しておりました。

 日本がまだ貧しい時代ではありましたが、貧しいから不幸であったかというと決してそうではありません。

 つつましい暮らしでありましたが、人々の心は豊かであり、日本の社会は元気であったように記憶しています。

 確かに今は物質的には豊かになりました。

生まれる前から充分な準備が整えられています。

乳母車はベビーカーになりました。

おしめは紙おむつになりました。

それと同時に、貧しさが不幸であるという現代の価値観が人の心をむしばみ始めています。

 

 ルカの伝える御子の降誕物語には羊飼いたちが登場します。

 8節、

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」

とあります。

 羊を飼うという労働は、餌場を求めて移動する仕事ですから、野宿と徹夜が強いられる労働でありました。

 野宿と徹夜と聞くと、これもまた現代で言う貧しさの極みに見えるかもしれません。

 しかし、彼らには、家畜を養うという、気の抜けない責任ある誇り高き仕事であったことでしょう。

 9節、

「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」

「空が明るくなった」と脚色されることもある場面ですが、単に明るくなったのではなく、羊飼いたちに天使が近づくことにより、彼らの周囲が照らされています。

彼らに「主の栄光」というスポットライトが当てられたと言える描写です。

 天使により、これから誰も聴いたことのないメッセージが告知されます。

その誰もの中から、彼らが選ばれたのです。

 主の栄光が照らすとは、そういうことでありましょう。

 神は、徹夜で野宿する羊飼いたちに、天使を遣わされたのです。

王でもなく、祭司でもなく、町の人々でもなく、神がまず最初に彼らを選ばれたのは何故でしょうか。

 

13-14節、

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

「いと高きところ」とは、空の上、天を指しているわけではありません。

山の頂が一点であるように、ただおひとりの神を指し示す表現です。

聖書が語る「栄光」とは、光り輝くものを言い表しているのでもありません。栄

光とは神の心の顕れのことを指し示す言葉です。

すなわち、御子がお生まれになった「飼い葉おけ」や御子がお架かりになった十字架が、栄光すなわち神の心がもっともよく表れた出来事でした。

 

 11節が、天使から羊飼いたちへのメッセージです。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

とあります。

「メシア」とは救い主、キリストのことです。

「救い主」は、ユダヤの人々にとっては、代々語り継げられて来た神が約束された方でした。

 この世の王を想像したり期待したりした人々も多かったことでしょう。

聖書の伝承によれば、救いとは、罪と死からの救いのことであると読み取れます。

 11節の「キリストが誕生した」という告知の前書きは、10節の「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」であり、あとがきは「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」でありました。

 天使の告知を受けた羊飼いたちに何が起こったのでしょうか。

 15節、

《天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。》

とあります。

 不眠不休の彼らでしたが、立ち上がったのです。

キリスト誕生を目撃しようと出かけたのです。

もちろん羊飼いですから、羊の群れと共に出かけたのです。

 彼らを立ち上がらせたのは、天使の言葉です。

 彼らを出かけさせたのは、あしたへの希望です。

 16節、

「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」

とあります。

 彼らは急いでいます。

何も急がなくてもと思いますか?

これは「逸(はや)る心」というものでしょう。

キリストがお生まれになったと聴いたのですから。

 羊飼いたちは、かの東の国の博士たちのように星に導かれたわけではなく、天使の告知による神の招きに応え、彼ら自身が出来事の場へと向かったのです。

 何よりも驚くべきことは、彼らは御子とその両親を「探し当てた」のです!

 聖書の印象深い言葉が思い起こされます。

ルカ11章9節、

「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」

 羊飼いはキリストを求めた。探した。そして、見つけた。

家畜小屋と飼い葉桶は、羊飼いたちの場でありました。

彼らが羊と共にキリストにまみえるに、これ以上ふさわしい場はありません。

仮に王宮で生まれたならば、彼らの居場所はなかったことでしょう。

飼い葉桶は、誰から招くかという神の心の表れに思えます。

教会は、キリストの復活から生まれた信仰共同体でありますが、キリストの誕生を告知する場でもあります。

神は、キリスト誕生の目撃者、証言者として羊飼いたちを立てられました。

この世界にキリストがお生まれになった知らせは、羊飼いたちから伝えられたのです。

飼い葉桶に眠るキリストから、私たちの愛と赦しのある世界が始まりました。

私たちは現代の豊かさにまどわされてはならない。

現代の貧しさにさいなまれてはいけない。

私たちもキリストがお生まれになった知らせに立ち上がり、キリストの働きを求め、キリストが向かわれる場を探し、キリストによる愛と赦しを実現する者とされたい。

 

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます」