2025.1.4説教「希望の星」

主の顕現

「希望の星」

 

マタイ2章1-12

 ◆占星術の学者たちが訪れる

 2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、

 2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

 2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

 2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。

 2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

 2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

 2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。

 2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。

 2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。

 2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

 2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

 2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。


「私たちの神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。」

 

 教会の暦では、新年初めの礼拝は「主の顕現」。

すべての人に御子の降誕を通して神がご自身を顕されたことを記念します。

 神がご自身を顕してくださるのであって、人間が神の前に信仰をアピールするのではありません。

神の顕現です。

 

新年に与えられました御言葉は、新しいユダヤの王の誕生の祝いに訪れた東方の博士たちの物語です。

彼らは星の研究をしている占星術の学者たちでした。

聖書には何人とも書かれてはいませんが、伝説では3人と伝えられています。

しかも、その伝説の3人には名前まで付けられています。

  1. メルキオール(黄金。王権の象徴、青年の姿)
  2. バルタザール(乳香。神性の象徴、壮年の姿)
  3. カスパール(没薬。将来の受難である死の象徴、老人の姿)

 また、この3人は3つの大陸の象徴でもあると伝えられます。それは、アジア、アフリカ、ヨーロッパ。そして、黒人、黄色人、白人を代表する者たちでもあると言われます。

 つまり、伝説の意図するところは、すべての国民、すべての人種がイエスの誕生を祝うために集うことでありましょう。

 さて、神の子・イエスの誕生の舞台は都エルサレムの近郊、ベツレヘムという村里です。

 この小さな町に、遠く東の国から博士たちが訪ねて来たと伝えられています。

 博士たちの旅は、気楽な旅というわけにはいきません。

星の研究、すなわち突如現れた不思議な星の意味を探求することから始まります。

研究が示すものは「ユダヤの新しい王の誕生」でありました。

 博士たちは新しい王に謁見するためと、自分たちの研究の成果を確かめるべく、さっそく準備をし、砂漠や山を越えての旅が始まります。

 ようやくエルサレムまでたどり着くころ、彼らは導いてくれた星を見失います。そこで、新しい王の誕生であるから王宮を訪ねるのですが、そこは場違いの雰囲気でありました。

 時の王・ヘロデに謁見し、事の次第を伝えると、ヘロデは側近の学者たちを集め、メシアすなわち救い主誕生の預言を確かめます。

 すると、ユダヤの学者たちはとまどうことなく、ためらわず答えます。「ユダヤのベツレヘムです」と。

 ヘロデも「わたしも行って拝もう」と言いますが、これは自分の利益を守るための企みからでありました。

 聖書が伝えるクリスマスの物語は2つ。

イエス誕生の祝いに駆けつけた登場人物は、今日お読みしましたマタイによる福音書では、外国の博士たちだけです。

 もう一つのルカによる福音書では、天使のお告げによってメシア誕生を知らされた羊飼いたちだけ。

彼らは、ユダヤ社会では招かれざる客にすぎませんでしたが、神はまず彼らから招かれたのでした。

私たちは、この「始まり」を忘れてはなりません。

社会にとって、あるいは教会と言ってもいいでしょう。

招かれざる者たちから神は招かれたということです。

そして、今も、これからも神のまなざしは変わらないのです。

 

彼らの他には誰もいません。

一般民衆はどうしたのでしょうか。

どこにいたのか。なぜ来ないのでしょうか。

ユダヤの人々はメシア誕生を知らなかったのではありません。

事実、道に迷った外国からの博士たちに場所を教えたのはユダヤ人自身なのですから。

ユダヤの学者をはじめ民衆たちは、預言者たちが命懸けで伝えたメシア誕生の知らせを忘れてはいませんでした。

しかし、知ってはいましたが、何もしなかったのです。

 

 2章10節、

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」

とあります。

博士たちにとって簡単な旅ではなく、幾多の艱難を乗り越えて到着したのです。

遠い国、長い距離以上に、博士たちがやり遂げなければならなかったのは、らくだの高い背から降り、ユダヤの新しい王の前にひざまずくという姿勢です。

そのへりくだった行為を彼らはやり遂げたのです。

しかしながら、「救い主との出会い」を喜んでいるだけではないのです。

彼らは占星術の学者でしたから、自分たちの研究結果が正しかったことに喜びを見出したことでしょう。

帰国してからも、国民からは栄誉を受けたことでしょう。

なぜならば参拝した後、キリストにまみえたにもかかわらず、2章12節「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」のですから。

 

 このように、2000年前、人々の喜び・救いの始まりがベツレヘムの家畜小屋で羊飼いたちによって祝われたこと、外国人によって記念されたことは、現代に生きる私たちにとっての希望となるでしょうか。

 このような問いは、私たち人間の立場や視点からの神観にすぎません。

この新年に聴きたい御言葉は、神にとって人間を創造したこと・人間の存在が、希望であるからこそ、尊い御子を人間に賜ったということです。

私たちそれぞれにも「別の道」があるのかもしれません。

あるいは、信仰ゆえに「別の道」などないとも言うでしょう。

 本日の御言葉マタイ2章6節は、旧約聖書ミカ書5章1節からの言葉です。

イエスがお生まれになったベツレヘムを指し示す言葉でもあります。

「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」

 小さくされている町からイスラエルの牧者・指導者が立つとの預言です。

この御言葉は、どのような困難な状況の中にも喜びが生まれ、命が輝くことを告げています。

そして、小さなクリスマスの出来事から、人類の希望、救いが顕れたように、あなたからも私からも希望と喜びが生まれることのしるしです。

 

新年、それぞれの希望を見出そうとする時でありますが、神にとっては私たちを見出し、私たちを神の希望としてくださったことが驚きです。

「わたし」が神の希望であることを福音として、この年を始めてまいりましょう。

 

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます」